齋藤守弘師範

顕彰碑

顕彰碑あいさつ

“本日は世界中の守弘先生の所縁の方々のお力添えにてここに顕彰碑の除幕式を迎えることができたことを深く感謝申し上げます”

齊藤仁平

Morihiro Saito Shihan

Memorial

顕彰碑あいさつ

“本日は世界中の守弘先生の所縁の方々のお力添えにてここに顕彰碑の除幕式を迎えることができたことを深く感謝申し上げます”

齊藤仁平

碑除幕式典

 齊藤守弘顕彰碑 除幕式典 あいさつ

本日は コロナ禍の際中にもかかわらず、世界中の守弘先生の所縁(ゆかり)の方々のお力添えにてここに
顕彰碑の除幕式を迎えることができたことを深く感謝申し上げます
父守弘の開祖ご夫婦への想い、その中でも新婚当初開祖ご夫妻の和歌山弁がなかなか理解できなかった
母の想い。
晩年、はつ奥様が寝たきりの状態のなか開祖でさえも理解できない妻の言葉を母だけが理解し伝えていた
などその献身は開祖も感嘆していました。
18年間寝る間も惜しみなく支えた母の姿を私達きょうだいも誇りに感じていました。
開祖ご夫妻亡き後も、道場や神社を守る姿から両親が開祖ご夫妻への尊敬を保ちながら、お二人との強い
絆を持ちつづけていることがわかりました。
その絆は齊藤家の名誉であります。
合気道を伝承していくことにおいても同様であると思います
岩間スタイルと呼ばれる言葉が世界中に広がっていったことは、守弘先生の偉大な功績でありそれを支え
た母と共にこの顕彰碑に込めることにいたしました
守弘先生が追求して止まなかった開祖の心技をさらに追い求めていく所存であります
話は尽きませんが、顕彰碑の意義を各自も同様に人生の糧として、また楽しく追求してくだることを希望して
本日のあいさつとさせていただきます
最後に両親および家族一同より重ねてお礼申し上げます。
誠にありがとうございました。
齊藤仁平

顕彰碑設置状況

齋藤守弘師範のご経歴 齊藤守弘師範 本名 齋藤森造 一九二八年(昭和三年)三月三十一日生 守弘は植芝盛平翁よりいただいた名前 合氣道開祖植芝盛平翁の偉業を受け継ぎ、その技と心を滴々相承せんとする。 たどり着いた境涯は「和と流れ」。世界中に優れた合気道家を輩出し、没後二〇年を経ようとして、未だに慕われている稀代の武道家。

二十三年間開祖植芝盛平翁に師事する。この間、妻さた夫人と共に、昼夜を分かたず、盛平翁・はつ御夫婦のお世話をする。他の弟子が嫌がって逃げ出した田んぼや畑の仕事の手伝いを、いつも最後まで、開祖に寄り添ってやり続けたエピソードが残っている。
開祖昇天後、茨城道場長となってからは、「開祖直伝」の技の伝承に腐心しながら、数百の体術と武器技の理合いを分類、組織化した。開祖から直接武器稽古を受けた数少ない弟子の一人で、合気会本部道場での武器技の指導を許されたただ一人の師範。七の素振り(剣)、三十一の杖、十三の杖、二十の素振り(杖)、合わせ、組太刀、組杖等の稽古法を工夫して、稽古生の理解を促した。 
また、合気会高等評議員として、合気道の普及活動に尽力する。
一九七五年のカリフォルニアでの海外講習会が好評で、以後毎年海外で講習会を行う。岩間は外国人合気道家のメッカとなり、その型はいつしか「岩間スタイル」と呼ばれるようになる。
生涯をかけて合氣神社を守り続ける。二〇〇〇年の合氣神社の修復にあたっては、その費用を捻出するために制作されたビデオ『岩間の合氣道』が、合気道以外の武道家たちからも絶賛される。

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